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新しいデザインの挑戦COMPETITIONについて
栄木 正敏 

以下、「コンペティション」を「コンペ」とする。

 コンペとは競うことの意である。スポーツ、文学、映画、音楽は一般によく知られるところだが、あらゆる分野で国内外のコンペは盛んだ。私は名古屋の陶器会社に勤めた年からデザインコンペに出し始めて、国内外に100回以上応募していると思う。

 私が46、7年前の23、4歳の時、友人らと品川駅近くにあった、当時の會田雄亮先生宅を訪問した。今や先生は世界的な陶の環境造形の第一人者となり、現在もご活躍の陶芸家だが、若い時の先生についを「コンペ」とする。ては、学生時代からいろいろなデザイン誌により米国で活躍されていたことを知っていた。先生にお会いするのは初めてであった。その時、先生は有名なイタリア・ファエンツァ国際陶芸展で日本人初の受賞をものにし、ゴールドメダルを見せていただいた。国際展のすばらしさに感激し、いつかファエンツァ国際展出品を、と思ったものだ。そんな出会いをきっかけに、會田先生の助手をし、その中で作品や生き方に影響を受け、自分も国際コンペに度々出品するなど、今まで何かとお世話になってきた。

 私の関係分野であるデザイン、クラフト、工業デザイン、陶芸などの名のコンペはスポンサーが新聞社や私企業、業界団体を始め、町や市から、県、国、国際(世界)と広がり、応募数や規模、予算、賞金、審査員の権威や入選、入賞の価値も高まっていくのが通例である。かつて、建築からプロダクト、グラフィックまで、あらゆるデザイン分野を網羅した、日本デザインコミッティーの主催のデザインフォーラム公募展があった。そのコンペでは、日本の様々なデザインの分野の中で、産地で陶磁器のデザインする自分の作品が他のデザイン分野と比較し、どういう位置づけかを知ることが、楽しみであつた。’97年の運よく入賞したカタログに、私はこう書いた。「尊敬する陶磁のM氏、硝子のF氏、家具のC氏、K氏、IDのK氏等ジャンルを越えて審査していただくこと。賞金がなく(ただし審査員がデザインしたしゃれたトロフィーがある)、作品集も簡素なのに、それでも多くの人が応募し、日本の多くのコンペで一番にステイタスを感じること。35年も前の高校生のころからデザインの勉強を無料でさせてもらってきた大好きな銀座松屋で開催されること。さあ、’97年も陶都の瀬戸よりあのころと同じ気持ちで、ちょっと知的でピュアな8階デザインフォーラム展を観に行こう」と。

 国内外陶磁器関係のコンペは陶磁器産地が主催し、コンペを通して、その地域が注目され、一時的でも人が集まり、活性化し、産地の高いイメージの構築を狙いとしている。国際展では、多くの国から多数応募される世界の様々な陶磁器の中で、瀬戸で作られた自分の作品はどのくらいに位置するのかを確認できる良い機会であった。世界の陶磁器デザインが関係するコンペによく出品してきたが、中でも歴史が古く権威のあるのが、前述のイタリア・ファエンツァ国際陶芸展である。他にスペイン・バレンシア国際工業デザインコンペ、大韓民国世界陶磁ビエンナーレ、台湾・台北国際工芸設計展、日本の国際陶磁器展美濃などである。国内でもGマーク、日本クラフト展、前述のデザインフォーラム展等多くのコンペに出品してきた。名古屋・日本陶磁器意匠センター主催の陶磁器コンペは、戦後間もないころから1989年まで続き、私は22歳から毎年のように出品して、とても愛着があった。当時はまだ名古屋港からの陶磁器輸出が隆盛を極めていたころである。その展示会は永く、多くの陶磁器デザインを集め、陶磁器デザインを目指す若者の登竜門的存在の貴重なコンペであった。

 作品づくりに時間、お金、気力、体力を総動員して、コンペに参加する者としては、作品が展示だけで終わりとならず、美術館に収蔵され、量産されて、裏印に会社名とともにデザイナーの名が記され、デザイン料が入り、末永く販売されることがベストである。

 デザインコンペは、その作品に物まね、伝承ではない真のオリジナリティーがあるか、作品がどのような新しい生活をイメージし、創り出しているか、単なる流行でなく時代の潮流の一端を生み出しえるか、そのデザイン思想まで表現しているかが問われる。コンペは単に製品の販売促進が目的でなく、デザインの文化的価値、社会性の要素が大切であると思う。
(私のコンペの結果は、作歴にそれぞれ記載した。)


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