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「栄木正敏セラミックプロダクト」風媒社刊の巻頭論文より
独創的なデザインをデザイナー自身の名で ― 自律型陶磁デザイナー栄木正敏の挑戦 ― 
美術史家 多摩美術大学教授 外舘 和子 

1 序

 2006年の拙稿「近現代陶芸の一世紀―日本陶芸史における<近代性>の意味―」は、文章中に「実用陶磁器と陶磁デザイン」なる項目を設け、微力ながら初めて近現代日本陶磁史上に、栄木正敏ら<陶磁デザイナー>の位置づけを試みたものであった(註1)。それは従来扱われてきたような、日常の器の作家といった類の漠然とした括りによる紹介ではなく、プロダクトデザインの陶磁器という、純粋表現としての陶芸とはまた別の思想や価値体系を担う領域を、陶磁史の中に組み込み、解説したものであった。

 また東京国立近代美術館において、森正洋(2002年)、小松誠(2008年)に続き、2011年には栄木正敏の個展が開催されている。栄木は1997年第50回ファエンツア国際陶芸展記念展で世界のデザイナー10人に選ばれるなど、海外のデザイン先進国では早くから高い評価を受けているが、まさに栄木らの活動によって、日本でもこの10年余りの間に陶磁デザイナーのステイタスが確立されつつあるようだ。

 今日、デザイン(プロダクトデザイン)と、工芸や陶芸とは、創造のシステムからすれば、対極といってもいい側面を持つ。工芸、陶芸は設計者(アイデアの持ち主)が自身の手で加工も行う実材表現を基本に表現の展開を目指し、逆にデザインは設計者と加工者を分ける非実材表現をベースに品質の揃った水準の高い量産を目指すものである。しかし、デザイナーのうちでも栄木のようなタイプは、素材や技術に根ざして実材で表現する陶芸家たちに近い性格も持ち合わせている。原則としてほぼ全ての製品見本を自身で制作し(註2)、生産現場に足を運び、完成品のチェックを怠らない。日本の多くの一品制作の陶芸が 素材や技術に根ざした実材表現hands-on art based on material & process(註3)であるとすれば、栄木の陶磁デザインは<素材と技術を踏まえてデザインする実用陶磁器>である。しかし、そうした日本の陶磁デザイナーと陶芸家の親近性や兼任性は、時にデザイナーの地位を曖昧にし、また産業や経済と直結したデザイナーの創作環境は、真に近代的な意味でのクリエーターへの道を困難にしがちであった。そうした背景の中で、栄木は日本の陶磁環境の長所を生かし、創造的な自律型デザイナ―という在り方を実現してきた作家ではあるまいか。

 本稿は、今年古希を迎える陶磁デザイナー栄木正敏の今日までの歩み、そのデザイン活動の内容と、クリエーターとして果たしてきた歴史上の意義や役割を記そうというものである。それはまた未来に向けて日本の陶磁デザインの可能性や方向性を示唆するものにもなるだろう。

2 実用陶磁器の歴史と栄木正敏―プロダクトデザイン形成史の中で 

 日本陶磁の「近代化」における重要な要素に、「デザイン」という概念の成立と展開がある。語源である英語のdesignには元来「設計」「図案」「意匠」といった意味があるが、日本では「設計」「図案」は明治期に新たな訳語として、「意匠」は中国の語彙から採用されて使われるようになった(註4)。しかし、「図案」や「模様」の意味の普及に比べ、「設計」という意味でのデザイン概念が国内で確立するには、かなりの時間を要した。平面的な装飾模様の考案ではなく、立体的な形状を含めて全体を設計し、量産する発想が現れるのは大正期末のことである。東京高等工芸学校教授を務めた畑正吉は、粘土などで制作した原型のような立体モデルを「立体図案」として説明している(註5)。それは加工に先だって作家がものの形状や模様を決定(設計)し、第三者がそれを加工して製作するという、後のプロダクトデザインというシステムの胚胎であった。
江戸時代までに培われた日本の土型成形技術の土壌の上に明治期には石膏型による型成形や鋳込みなど、分業、量産に適した技法の発達も後押し、手加工の度合い、動力使用の割合を変化させつつ、昭和の日本では様々な実用陶磁器が生産されていく。

 特に1930年から、工芸品を民衆の生活の中で見直すとともに、工業品美化という考え方を含む「産業工芸」という領域が認識されていった。1935(昭和10)年大阪で開催された「大阪産業工芸博覧会」はそうした状況の一端を示している。1932(昭和7)年には、栄木も1960年代から愛読することになる雑誌『工芸ニュース』が創刊。商工省工芸指導所が産業工芸の普及を意図して編集した同誌は1974(昭和49)年まで刊行された。同誌の表紙には「INDUSTRIAL ART NEWS」(産業美術ニュース)と英題が付され、家電や車など先端工業製品を積極的に扱っているが、1955年4月号では「クラフト特集」が組まれるなど、同誌の内容を辿ると、日本の実用陶磁器が、工業デザインや工房製品、個人のクラフトなどの混然とした中で発展してきたことが分かる。同誌はまた、時代の先端を行くデザインの紹介のみならず、デザイナーとしての契約書の書き方の実例など、きわめて実務的な情報も掲載された(註6)。栄木も1973年の会社設立時に、大いに参考にしたという。
戦後はデザインに関する制度や組織も充実していく。1952(昭和27)年には、社団法人日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)が誕生し、1957(昭和32)年には通産省のグッドデザイン(Gマーク)商品選定制度が発足している。また、1950年代後半から60年代には、北欧デザインが展覧会などの開催によって多くの日本人を魅了、栄木も1964年のフィンランドデザイン展を東京・白木屋で見ている。栄木が最も影響を受けたという日本の先駆的陶磁デザイナーの一人、森正洋がデザインし白山陶器が生産した《G型しょうゆさし(醤油注)》の白(大・小)と茶(大)は1961年度のグッドデザイン賞に選定され、今日までロングセラーとなっている。日本の陶磁デザイナーの先駆者である森が描くのは、模様下図や絵画的「図案」ではなく、立体を客観的に示す「図面」である。森は、一つの陶磁製品の為に、ときには50枚にも及ぶ図面を描いたという(註8)

 森は1956年に社内デザイナーから出発し、約20年かけて陶磁デザイナーとして独立したが、次の世代は、一層早い時期から明確に陶磁デザインという領域や陶磁デザイナーというポジションを意識して活動を始めている。注目すべきは、大メーカー(製陶所)に属さず、普段、自身のスタジオ内で作家自身が試作ないし少量生産を試みながら、ものにより、機会を捉えて、ときには改良を加え調製した上、第三者に生産させる小松誠や栄木正敏のようなタイプの作家の存在である。彼らは、第三者がそれをもとに量産できる正確な石膏原型を作ることのできるデザイナーであり、日頃、自身のスタジオでアイデアを練り、試作し、あるいは自身の手で少量生産する中で、量産の技術も熟知し、分業生産可能なものをデザインすることを行っている。それは例えば、窯元の親方が轆轤などを用いてサンプルを制作し、それを見本に弟子や職人に量産させる工房製品とは異なり、デザイナーによる「設計」と、職人という第三者による「加工」によって量産するプロダクトデザインの陶磁器である。
1956(昭和31)年には日本デザイナー・クラフトマン協会(1976年日本クラフトデザイン協会に改称)が創設され、1973年から現在まで栄木は会員として参加しているが、この協会には森正洋や小松誠、栄木のような陶磁デザイナー、手工一貫制作のクラフト作家、製陶メーカーなどが混然と名を連ねている。また、日展作家、日本工芸会の作家、無所属の一品制作をメインとする作家も参加していた(註7)。それはまさに日本の実用陶磁器の様々な創造のシステムの存在を反映しているといってよいだろう。
しかし、現実はそうした分類のみでは戦後日本の実用陶磁器を説明することはむずかしい。そこで筆者は、大学の講義等において次のような5種に大別し、説明してきた(註12)

① デザイナーと工場が作る
 プロダクトデザインやインダストリアルデザインに相当するもので、デザイナーによる設計と職人による加工とに分けて生産できる実用陶磁器であり、大量生産を視野に入れている。デザイナー印、あるいはメーカー印、又はそれら両方の印が入れられる。

② 工房が作る
 工房主(その工房を主宰する陶芸家)のサンプルなどをもとに、少人数の弟子や職人が主に手工生産する工房製品であり、中量程度の生産を目指すもの。工房印が入ることが順当だが陶芸家印の場合もある。

③ 個人が量産する
陶芸家自身による少量生産。陶芸家のサインが入る。

④ 個人が量産を意識せず実用目的で一品制作的に作る
 ③と多分に区別し難いが、必ずしも量産を意図しないため、手数の効率を必ずしも優先せず、価格も個人クラフトより高いことが普通である。陶芸家のサインが入る。

⑤ 民芸品
 地域の伝承的な作風を踏襲する実用陶磁器。創造の主体は個人ではなく地域であり、@からCまでとは明確に区別される。個人に帰する個性ではなく、地域に帰する「個性」(地域性)のみを特徴とし、作者個人の個性を意図的に盛り込むことをしない。匿名を原則とする。


 日本の食卓の豊かさは幅広くこれら5種が存在することにも追っている。また日本ではしばしば一人の作り手が上記の2種以上にまたがって手がけていることが多いので、いずれに該当するかはモノに即して判断する必要がある。栄木の場合ならBや時にはCに相当するものを制作することもあるが、基本的に目指すところは@である。

 しかし、@のプロダクトデザインにおける創造の主体は、長らくメーカーや組織のみであって、デザイナーはクリエーターではなく職人扱いであった。その意味するところは2つある。第一に、デザイナーに創造的なものを期待するのでなく、売れ筋の模倣的なものを要求しがちであったこと。第二に、創造的な物であってもデザイナー個人の名を併記することなく会社名のみとするケースが多いことである(註14)

 現代陶芸の先駆者・富本憲吉(1886 - 1963)は、1932年と1934年に少なくとも計4度、瀬戸に滞在して地元の職人たちと日常の食器を制作し、瀬戸で定宿としていたある旧家に画帖を残している(註15)。その画帖で、富本は「著作権法」「意匠登録」「オリジナリティ」の重要性、当時のそれらの欠如について、産地の量産陶器の作り手や受け手に対して切々と訴えている。日本では著作権法そのものは1899(明治32)年に制定されているが(註16)、著作物の指す内容として「美術工芸品」が明文化されたのは、著作権法が大幅に改正された1970年のことであり(著作権法2条2項)、また「物品(物品の部分を含む)の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通して美感を起させるもの」(意匠法第2 条 1項)即ち製品デザインの創作性、著作性を保護する意匠法が一応制定されたのも戦後の1959(昭和34)年のことであった。しかし、意匠法は登録手続きや登録料を要することもあり、実用品の「著作性」の保護効果には不十分と見做されており、1960年代には、デザイナー団体からデザインの著作権について数回にわたって要望書が出されている(註18)。一方で、スティグ・リンドベルグが指摘しているように、日本のデザインの模倣は国際問題にもなっていた(註18)。それほど陶磁器、特に量産の実用陶磁器に関しては創作性の保護や作り手の権利の制度化は遅かった。

 栄木は「当時、瀬戸では和食器のデザインは伝統デザインの模倣アレンジに価値があり、洋食器やノベルティは欧米貿易商の持ち込むデザインで事足りていて、デザインとしての「独立」はなかった」(註19)と回想し、「日本の陶磁器デザイナーの匿名性」(註20)を指摘している。栄木が自身に課した歴史的挑戦も、まさにそこにあった。即ち実用陶磁器の<独創的なデザインを自身の名で世に出す>ということである。

3 栄木デザインの歩みと展開

(1)陶磁デザインへの道:1944年〜

 1944年、千葉県に生まれた栄木正敏は、高校生であった1960年に『美術手帳』やティーポットの実物で森正洋を知り、『工芸ニュース』『デザイン』『木工界』等を愛読していた。それは栄木が陶磁器のみならず、デザインという領域に対して早々に強い関心を持っていたことを示している。

 デザイン領域の充実した武蔵野美術大学短期大学専攻科で加藤達美や芳武茂介らに学び、小松誠(1943-)や、荻野克彦(1944-)らと交流。卒業後の1966年、栄木は加藤がデザイン顧問をしていた名古屋市の瀬栄陶器(従業員千人程の磁器メーカー)デザイン部に入社し、夜間に自主制作しつつ1967年から各種のコンペに出品し、入選・受賞を重ねていく。  1969年には笠間という茨城県の産地で曾田雄亮のモニュメントなどを手伝い、その後、瀬戸市のタイル、ノベルティ、食器の工場で陶工として働きながら、技術のみならず、生産のシステムや環境についても体得していった。

 栄木はその後、食器は勿論、タイルや陶壁、モニュメントまで幅広い活動を手掛けていく。その作風は、幾つかのシリーズが順次並行しながら展開していくが、素材(陶器、半磁器、磁器、メラミン樹脂など)や成形技法も、意匠内容により巧みに使い分けている。以下、各時代の代表作を取り上げながら栄木デザインの歩みと展開をみていこう。

(2)瀬戸の絵付け職人を想定したグッドデザイン:1970年代〜

 1970年、栄木は30人ほどの瀬戸の陶器工場に問屋業をしていた杉浦豊和とともに販売部を設け、自身のデザインの手描き食器を生産する。さらに1973年には瀬戸市で企画・生産・販売を一貫して行う会社セラミックジャパンを杉浦と設立、栄木は窯業地の自律的なデザイナーとして本格的に活動していく。日本に工業デザイナーのデザイン事務所が設立し始めるのは1948年頃からのことだが(註21)、@瀬戸という日本有数の窯業地で、A企画から販売までを自らの決定と責任で行うという2つの条件のもとに陶磁デザイナーとしての活動を推進した者として、栄木はパイオニアの一人であろう。

 栄木の初期代表作の一つは72年に瀬戸市で初めてGマークに選定された、機械轆轤と鋳込み成形による中火度酸化焼成の半磁器《手描きの食器》(1971年)(★)に始まる一連の手描きシリーズである。絵筆のタッチを花の輪郭ではなく面で生かすという思い切ったデフォルメにより、明快で大らかな花模様、植物模様が生まれている。このシリーズで栄木は、機能主義デザインが排除する傾向にあった手描き模様による柔らかさを量産陶磁器に取り入れることに成功した。瀬戸の訓練を積んだ絵付け職人なら無理なく再現できるデザインの考案である。対象を極力単純化する栄木の意匠はこうした半具象的な模様にも活かされている。それは瀬戸の絵付け職人という加工者への適合性に配慮して意匠内容を工夫し、素材・技法を吟味、かつ時代に提案する姿勢を持ったまさにグッドデザインである。但し、一定の絵付けの水準を維持するため、栄木は自身も1年間絵付けの訓練をし、またのべ15人ほどの絵付け職人に対して運筆を指導した。

 72年には早くも第30回ファエンツア国際陶芸展でこの《手描きの食器》がデザイン部門に入選し、国際デビューを果たしている。同34回展に出品された≪Jシリーズ「ブラックライン」≫は、点と線のミニマムな模様によるもので、こちらは転写の採用を想定した意匠内容となっている。
これらのシリーズは、そのフォルムにおいても、底部に向かってやや広がるカップの安定感ある形や、ツマミではなく指で挟んで持つ窪みのある蓋など、栄木ならではの細部の工夫がみられる。

 栄木の手描き模様は圧力鋳込みによる磁器の和食器へも展開、≪手描き和食器≫(1974年)は江戸時代の肥前陶器にみるシンプルな松樹模様を参照した意匠だが、呉須をメインに、全く別次元の現代的でメリハリのある模様になっており、皿の形についても円の中に八角形の窪みを施すなど、新鮮で洗練された和食器となっている。

(3)フォルムと釉調でみせる―和洋の融合による現代性:1970年代末〜

 プロダクトデザインに手描き模様の導入を実現したのち、栄木は無地の、言い換えればフォルムで勝負するプロダクトの王道ともいうべき意匠にも果敢に取り組んだ。但し、やきものの素材感に鋭敏な栄木は、単に形の洗練にとどまらず、その形にきめ細やかな質感と発色を組み合わせている。栄木デザインの一角をなす、和洋折衷ならぬ“和洋の融合”とでもいうべき作風である。西洋風が定着した現代日本の日常生活のなかで尚、和の感覚を無理なく取り入れようとする栄木の姿勢は、単なる和洋混交にとどまらない一体感ある新次元の和洋融合デザインを生み出してきた。≪白マット茶器≫(1979年)の急須や土瓶の、帽子のような蓋や、大らかなハンドル、伝統的な天目釉の質感や発色を活かしつつ円を基調とする形でまとめた《天目ディナーウェア》(1979年)など、器種、形態と色や質感との巧みな組み合わせによる和洋の一体性や調和によって現代そのものが表現されている。 第11回バレンシア国際陶磁器ガラス・デザインコンペティションでグランプリを受賞した≪天目ディナーウェア≫は、東洋的なイメージの強い天目釉を用いた洋食器という、いわばグローバルデザインとでもいうべき世界に斬り込んだ逸品である。

(4) 進化する形態―技術の工夫と習熟から拡がるデザイン:1980年代〜

 1983年頃、栄木は仕事場と展示資料室を併設した栄木正敏デザイン研究所を設立、デザイン陶磁器の試作をそこで行うようになる。

 しかし、あるデザインが製品化するにはしかるべき時期を待たねばならない場合がある。WAVEというシリーズ名のテーブルウェアは、80年代半ばにスタジオでデザインされ2000年頃に製品化、販売されたもので、韓国の世界陶ビエンナーレに招待出品された。3点をテーブルとの接点とし、波打つ曲面を描いて立ち上がるアイボリー磁器のタンブラーは、豊かな抑揚がありながら簡潔な姿かたちである。殊に、底に向かってやや窄まる小サイズのタンブラーは他に比類のない美しさといってよいだろう。底全体に施釉する伏せ焼きなど瀬戸の歴史的技術を熟知した栄木ならではのデザインであり、卓上でも手に持っても優れた安定性を発揮するユニバーサルデザインの性格もあわせ持つ。洗練されたフォルム、手触りの美しさが、結果的にユニバーサルなデザインにもなるという、陶磁デザイン史上の名品である。

 栄木の形態吟味は、ラインや厚みなどについてミリ単位に及ぶ。≪clay wave≫(1988年)のフォルムに見る縁のラインの美しさも秀逸である。それは縁のウエーブに伴って縁の厚みも変化し、抽象度の高い花のような姿かたちを成す。四角形、三角形の角を緩やかな曲線とすることで、円・角型・輪花のいずれでもない、全く新しい形を生み出したといってよい。

 栄木の通念に捉われない形に対する発想は、90年代以降も≪ハンドルの器≫(1994年〜)T字型ハンドルなど、機能を前提とした新たなフォルムの美しさを提案している。

(5)陶磁素材を越えて―メラミンウエア:1980年代末〜

 陶磁器は、受け手にとっては落とすと割れる、作り手にとっては焼成中に歪むというマイナス面があるが、陶磁器では不可能な素材の強度、形の精度が、別の素材なら可能な場合がある。そうしたハードルをクリアしたい場合、デザイナーは陶磁器以外の素材も視野に入れることができる。

 栄木は富本憲吉が晩年、関西のメーカーでメラミン樹脂の食器を試みていたことにヒントを得、高価な金型の分割数を最小限に押さえた低コストで、メラミン樹脂ならではの急須やマグカップ≪U-STAGE Q-su≫(1988年)(★)をデザインした。単純にして明快な形態は、軽さ・安定感・扱いやすさなどユニバーサルデザインの性格を持つだけでなく、従来のプラスチック製品にないシンプルでモダンな雰囲気を出すことに成功している。
またメラミン樹脂の利点を子ども用の器に活用した≪エレファント≫(1986年)(★)は、象というモチーフそのもののボリューム感と形を活かした意匠で、大人の目にも楽しいものだ。

(6)ブルーの展開とユーモア:1990年代〜

 呉須を用いた染付は、栄木が活動する瀬戸の19世紀以来の素材・技法の一つである(註23)。栄木は91年から愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸科で教育にも尽力したが、同大の陶磁専攻陶芸コースでは、早くからでは加藤作助(1940−)、太田公典(1953年)が特に染付に力を入れてきた。

 栄木はこの呉須を用いた表現についても独自の発想で歴史に斬り込んでいる。既に70年代前半にも手描き模様シリーズの一部に呉須を使用しているが、80年代になると、呉須の扱いにも新たな展開がみられる。幅のある筆ではなく、象嵌などに呉須を用いてブルーを<ラインで>生かしていくという発想である。

 まず細い線の美しさを洗練された形態の中に生かした≪ブルーライン≫(1983年)(★)。フラットな蓋に、円形の二つの窪みをツマミ代わりにするという発想がみられ、呉須の線も凸部の脇に収まるという呉須使用の名品である。カップやポットのハンドルがボディにやや食い込む形もユニークである。瀬戸の職人が飯椀の網目模様を描くために使う呉須用の細筆を、栄木も職人に倣い、手作りして使用した。栄木の呉須の線描は≪COMPACT≫(1983年)(★)以後、一層フリーハンド感覚の軽快さを獲得していく。
90年代以降の呉須の器の一部には、手描きだけでなく、明治中期以降、磁器の産地が得意としてきた転写技術の活用もみられる。特に「しずくフォルム藍線のうつわ」のシリーズの一部では1967年に多治見市陶磁器意匠研究所で開発されたイングレーズを採用(註22)。これにより転写紙が釉中に沈み込み、上絵にない模様の強度と、下絵の如きボディとの一体感を獲得、機能性と視覚的美しさの両方を実現した。

 また、≪しずくフォルム藍線のうつわ 角皿≫(2000年)のように、呉須の「線」を主役に、透水性顔料によるダミや暈しを組み合わせた展開もみられる。形の上でも、プレートやボウルの角や縁の一部に微妙なアールを描く突起をつけ、ユーモラスで新鮮な美観を示すと同時に、持ち易くもあるフォルムを生み出した。<アールの突起>は≪和&洋≫(1988年)にもみられるが、透水性顔料の暈しによって、≪角皿≫は温かみのある有機的な表情を獲得している。また輪高台の代わりに幾つもの点で支える高台の湯飲みや長角皿には、高台=ミニマムという通念を覆す発想がみられよう。

 これらブルーのシリーズは、バリエーションに富んだ模様でありながら、統一感も示している。日本人は自分の箸や飯碗など家庭においても<自分の食器>を区別する文化を持つが、栄木の呉須シリーズは家族それぞれの個別性に対応しつつも、卓上における<デザインの統一性>の問題を鮮やかに乗り越えた。それはまた、選ぶ自由、組み合わせる楽しさなど、使い手を参加させるデザインへの展開でもある。

(7)手の思考からの発想―図面にできないデザイン:1990年代〜

 スポーツ用の水着のようなテンションの強い布を複数の点で張らせると、頭では描けない自然な曲面が生まれる。あるいはタタラに棒の先を押し付けることを繰り返すとその痕跡が思いがけないテクスチャーを作る。

 ≪レリーフタイル「ブラーレ」≫(1992年)のようなタイルや「表面張力」のシリーズは、機能性や全体のアウトラインから入るというよりも、そうした実験的な、また断片的な部分の面白さを半ば感覚的に拡張していく中で生まれてくる意匠である。栄木のような素材体験型のデザイナーにとっては、手遊び、手の思考もプロダクトデザインの世界に生かされていくのである。栄木が手掛けてきた建築の内外へのデザイン展開には、やはり押し出し成形や圧力鋳込み成形など、瀬戸のような量産陶磁器の産地が得意とする技術が貢献している。

4 陶磁デザイナーとしての栄木正敏の特質

(1)瀬戸という産地を活かした生産デザインシステムの形成

 栄木の初期代表作の一つは72年に瀬戸市で初めてGマークに選定された《手描きの食器》のシリーズであろう。大らかな花模様はその単純さゆえに飽きが来ず、また手描きならではの親しみある模様である。本作で栄木は、所謂モダンデザインが排除する方向にあった手描き模様を量産陶磁器に取り入れることを試みた。瀬戸の絵付け職人が無理なく再現できる明快さは、「点・線・面という要素の組み合わせ」で模様を創作する栄木の意匠にも拠る。それはまた半磁器中火度酸化焼成という素材技法への配慮により可能となったものでもある。意匠内容の工夫と瀬戸の絵付け職人という第三者への適合性、素材・技法の吟味、かつ時代に提案する姿勢を持ったまさにグッドデザインである。77年には、栄木とセラミックジャパンが、別の手描き食器のシリーズで国井喜太郎産業工芸賞を受賞しているが、理由は「加飾の健全性を目指す陶磁器製品の企画、生産及び販売の総合的推進」とある。つまり意匠内容とともにその生産システムの工夫まで含めたデザイン活動として評価されたのである。

(2)デザイナーの「個」を製品上に明記−陶磁デザインの著作性の主張

 栄木のデザインの特色の一つに和洋折衷ならぬ“脱和洋”とでもいうべき傾向がある。西洋風が定着した現代日本の日常生活のなかで尚、和の感覚を無理なく取り入れる栄木の姿勢は、単なる和洋混交にとどまらない一体感ある新次元の脱和洋デザインを生み出してきた。それは手描きの絵付など、模様の範疇にとどまらることなく、80年にデザインした白マット急須の水平なハンドルや89年の《ストーンウェア「和&洋」》、あるいは伝統的な天目釉の質感や性質そのものを活かした意匠でモダンなデザインに仕上げた79年の《天目ディナーウェア》など、形態と色や質感との巧みな組み合わせによる和洋の一体性と調和によって現代そのものを象徴してもいる。

(3)陶磁デザインに託された民主主義

 栄木は70年代にも呉須の手描き模様で脱和洋の食器をデザインしているが、90年代になると、呉須模様にも大きな変化がみられる。しずく模様など、呉須の「面」より「線」を主役にしたタイプがそれである。瀬戸の職人が飯椀の網目模様を描くために使う呉須用の細筆を、栄木も職人にならって手作りして使用する。栄木の90年代以降を代表するシリーズにみる呉須の青いラインはフリーハンドの模様でありながら、ある統一感を示している。それを生かした組み合わせプレートや、家族それぞれの為の異なる湯飲み、模様が異なる組皿など、卓上における「デザインの統一性」の問題を、栄木は白地にフリーハンドのブルーで鮮やかに乗り越えた。結果、使い手に選ぶ自由、組み合わせる楽しさなど、使う側を参加させるデザインへも展開して行くのである。
 90年代の栄木の呉須のシリーズにはしばしば日常の疲れも吹き飛ばす軽快なユーモアが漂う。形態のうえでも、幾つもの点で支える高台の湯飲みや、角が凸形のアールを描く角皿など、模様と相俟ったユーモラスなものが生まれている。また呉須模様のシリーズには、近隣の産地美濃が明治中期以降得意としてきた転写技術も、ものにより大いに活用している。

5 結語―独創的なデザインを自身の名で

 産業的地場に蓄積された技術や経験を、自らの物づくりに生かしていくという姿勢は多かれ少なかれ陶芸家には一般的だが、栄木は陶磁デザイナーとしてそれに取り組んだ。栄木の「伝統工芸をデザインで練り直す」(註31)とは、そうした姿勢を示していよう。栄木は<生産地の現場付近に身を置く>ことでそれを徹底してきたのである。

 作風においては、手描きの下絵付けやフリーハンドの呉須象嵌、透水性顔料の滲みや暈し加飾においては、手描きの下絵付けやフリーハンドの呉須象嵌、液体顔料の滲みや暈しを取りいれることで、陶磁デザインに〈柔らかさ〉をもたらしたことが、栄木デザインの独自性の一つである。また、天目釉や青白磁など伝統的な要素を、極めて現代的な形態・意匠に生かし、一方でユーモアとウイットに富んだ模様を試みた。
瀬戸を代表する素材、呉須の扱いについても従来にない作風を切り拓いている。 

 形態においても、《WAVE》や《CLAY WAVE》など、プロダクトデザインの世界に、優美な形態の美しさを実現し、一方で、模様の雰囲気に合わせ、動きのある形態や、遊び心あふれる意匠を試みた。「無地」のプロダクトにも、形態と質感や発色とを吟味した、やきものならではの魅力を具現化してきている。元来、無機的であることを得意とするプロダクトデザインのフォルムに、有機性をもたらしたといってもよい。しかもそうした独創的なデザイン陶磁器にいち早く裏印等を施し、それらが自らのデザインであることを示すと同時に、〈デザイナーの存在〉を積極的に世に伝えてきた。

 その姿勢は、栄木が名誉教授となった愛知県立芸術大学の後進にあたる井戸真伸(1971−)、黒川兼吉(1974−)、田上知之介(1974−)、岡崎達也(1976−)らにも伝えられつつある。栄木の活動は、戦後、森正洋らが取り組みを始めた本格的な<陶磁デザインの近代化>を、さらに誠実かつ戦略的に国内外に向け推進してきたものである。自律的なデザイナーという概念の確立から、その実践と普及へ。産地に根ざし、かつデザイナーの「個」に意識的な現代の本格的陶磁デザイナーという栄木の在り方に、産地から発信する独創性と国際性という21世紀陶磁デザインの重要な方向性をみることができる。ともすれば創造性や著作性に疎く、模倣にルーズになりがちな実用陶磁器の世界で、<独創的なデザインを自身の名で>という姿勢を、瀬戸という産地を基盤に、日本に確立することに尽力してきた功績は、ほかならぬ栄木正敏のものである。意志ある挑戦を、栄木に続く陶磁デザイナーたちにも期待している。

註1  : 外舘和子「近現代陶芸の一世紀−日本陶芸史における<近代性>の意味」『日本陶芸100年の精華』茨城県陶芸美術館、2006年。 森正洋、曾田雄亮、小松誠、栄木正敏を「実用陶磁器と陶磁デザイン」の枠組みで紹介した。
註2  : プラスチックの場合原型不要の為、直接PC連動のNC工作機で雌型、雄型を金型で作り、栄木は実物大の精密石膏モデルのみを製作する。
註3  : ここでのartはexpression即ち表現の意味である。
註4  : 出原栄一『日本のデザイン運動 インダストリアルデザインの系譜』ペリカン社、1989年、27-28頁。
註5  : 「立体図案」は別名「工芸彫刻」ともいわれた。出原、上掲(註4)、97−98頁。
註6  : 佐藤俊夫「中小企業とデザインを結ぶ」『工芸ニュース』36号、1968年、59頁。
註7  : 社団法人「日本クラフトデザイン協会「JCDAに参加した人々」『日本クラフトモノ、くらし、いのち』学習研究社1986年、180−181頁。
註8  : 森正洋氏への筆者インタビュー、於多治見市陶磁器意匠研究所、2002年10月18日。
註9  : 勝見勝「クラフトとフォルム―前衛工芸擁護のために」『工芸ニュース』23-4号、1955年、3頁
註10: 日根野作三は、クラフトデザイン(CD)を「手工を主とし、近代感覚をもった現代の生活用具」と定義し、工業デザイン(ID)に対置されるものとして捉えている。日根野作三「クラフト私観」『20cy後半の日本の陶磁器クラフトデザインの記録』光村推古書院、1969年。
註11: 出原、上稿(註4)、38頁。
註12: 創造のシステムからみたプロダクトデザイン、クラフト、及びその中間領域について記述も参照。外舘和子「実用的生活芸術としての陶磁器を考える−デザインとクラフト」『暮らしのうつわーデザインとクラフト 小松誠 平川鐵雄 佐藤剛』茨城県陶芸美術館、2002年の創造のシステムからみたプロダクトデザイン、クラフト、及びその中間領域についての記述も参照。
註13: リーチ工房で製作経験のある市野茂介氏へのインタビュー、於兵庫県篠山市市野宅2004年10月26日。
註14: 例えば森正洋の≪G型しょうゆさし≫の場合も、森が社員であったこともあり、あくまでも白山陶器の名でグッドデザイン賞を受けている。
註15: 外舘和子「富本憲吉のメッセージ―瀬戸で発見された画帖から」『陶説』641、2006年8月号、64頁。
註16: 旧著作権法によれば「文書演述図画建築彫刻模型写真演奏歌唱其ノ他文芸学術若ハ美術(音楽ヲ含ム以下之に同ジ)」が著作物の対象である。
註17: 「1966デザイン界の歩み」『工芸ニュース』35号、1967年、6頁。
註18: スティグ・リンドベルグ「日本の模倣問題をめぐって」『工芸ニュース』29号、1961年、34−36頁。
註19: 栄木正敏「私の陶磁器デザインと『3つのびっくり』」『東京国立近代美術館ニュース 現代の眼』585号、2010年12月、2~3頁。
註20: 栄木正敏「ものづくりで社会に主張するデザイナー・森正洋」『文集 私たちの森正洋』森正洋を語り・伝える会2012年、123-129頁。
註21: 出原、上掲(註4)、150頁。
註22: 「昭和42年高温釉上技法(イングレーズ)の研究発表」
『昭和20年移管20周年記念意匠研究所20年の歩み』多治見市陶磁器意匠研究所、1978年、16頁。
註23: 外舘和子「染付の魅力―歴史と現在」『炎芸術』2014年、11月。
註24: 瀬戸市、四日市ではセラミックジャパン、新留製陶所、加正製陶所、陶楽園製陶所、霞仙陶苑、伊富製陶、華月窯、共同セラミック、国際化工(本社奈良)、佐藤商事(本社東京)、TOTO(本社北九州)アップリカ葛西(本社大阪)等。
註25: 一般財団法人工芸財団ホームページ「国井喜太郎産業工芸賞功績」による。
註26: 加藤達美《月光》第1回日本ニュークラフト展でニューニュークラフト賞受賞。
註27: メラミン樹脂のものなど例外もある。図5参照。
註28: 栄木、上掲(註19)、3頁。
註29: 栄木正敏「森正洋の思想と実践」『PDの思想』株式会社ラトルズ、2004年9月、23頁
註30: 外舘、上掲、2002年(註8)。なお外舘和子「社会的存在としての陶磁デザイナ―森正洋の思い出」『文集 私たちの森正洋』森正洋を語り・伝える会2012年、pp.123-129参照。
註31: 栄木自身の製作による自作の商品説明パンフレット。陶磁器を入れる箱に折りたたんで入れてあるもの。

略歴
外舘和子(とだて・かずこ)
  美術評論家、美術史家、国際陶芸アカデミー会員、2018年4月より多摩美術大学教授
1964年東京生まれ。筑波大学卒業。茨城県陶芸美術館主任学芸員等を経て、現在、愛知県立芸術大学、名古屋芸術大学、東北芸術工科大学、沖縄県立芸術大学、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、京都造形芸術大学で工芸史、陶芸史、工芸理論等を担当。
英国テート・セント・アイブス「Kosho Ito Virus」(2002)をはじめ、国際交流基金主催海外巡回展「Handcrafted Form」(2005)、SOFAシカゴ2007、米国スミスカレッジ「Touch Fire」(2009)、フランクフルト工芸美術館「Creative Tradition」(2011)等、海外の美術館・大学で講演・図録執筆を行う。
第5回韓国国際陶磁ビエンナーレ2009諮問委員。また伊丹国際クラフト展、国際陶磁器展美濃2014等国内外の公募展、団体展で審査員を務める。2005年「戦後陶芸史におけるオブジェと八木一夫」等で菊池美術財団論文賞(最高賞)受賞。
主な著書に「日本近現代陶芸史」(阿部出版社 2016)、「Fired Earth, Woven bamboo―Contemporary Japanese Ceramics and Bamboo Art 』(The Museum of Fine Arts, Boston, 2013)等多数。

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