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東京国立近代美術館ニュース「現代の目」585号Dec.2010−Jan.2011
特集1 栄木正敏のセラミック・デザイン−リズム&ウェーブより転載
栄木正敏・自己主張する産地型デザイナー
井上隆生 (美術ジャーナリスト)

T 第二世代のデザイナー
 栄木正敏は、日本を代表する陶磁器デザイナーの一人だ。この分野で個人名で作品を発表する人は意外に少数。名前が浮かぶのはGマークのベストセラ商品の「しょうゆ差」で知られ、2002年東京国立近代美術館の初回のデザイン展を飾った森正洋(1927−2005)、建築分野で活躍する曾田雄亮(1931−)、愛媛県の砥部焼で知られる工藤省治(1934−)ら。昭和一桁生まれの第1世代だ。
 続くのが第6回デザイン展で紹介された、シワを泥漿でみせるやきものらしくないやきものの小松誠(1943−)や44年生まれの栄木正敏ら。戦争末期以降に生まれた第2世代だ。

U デザインは近代社会の必然からうまれ、美術と対等がそれ以上の意味を持つ
 栄木正敏は愛知県立芸術大学のデザインの教授を09年の定年で退官した。07年の学内の学生専攻会が出した小冊子「PLUS OPUS」のProfessor's viewsの中で7学生の質問に答える形で次のようなデザイン論を載せている。
 「美術からの付加価値や応用でデザインが生まれたのではなく、陶磁のデモクラシー社会、工学技術、産業、知性、時代の美感、生活と機能などの融合から、必然的に生まれた新分野がデザインやデザイナーなのです。ここに美術と対等またはそれ以上の意味を持つデザインがうまれたのです」デザイナーとして40余年間の心の叫びに違いない。「デザインこそ美術以上だ」と高らかに宣言した人を私は他に知らない。

V 伝統・前衛・民芸・クラフト
 栄木が20代から住む陶業地の瀬戸市に生まれた私は、栄木の心情が分かるつもりだ。有り体に書けば、陶業地では一品制作の伝統やオブジェを主とする前衛の陶芸家が美術家として遇されるのに対して、量産を旨とするデザイナーは安価に大量に生産されるせいか、軽視されている。
 陶芸の分類として伝統・全英・民芸・クラフトの4分類が今もよくつかわれている。伝統は重要無形文化財保持者に代表される色絵、青磁、白磁、志野、備前など。前衛はかっての赤泥社に代表されるオブジェ。民芸は会津など産地固有の作品で数も少なく、デザイナーの作品はクラフトに分類される。
 瀬戸や美濃等産地の陶芸協会のメンバーは大半が「伝統」派で、「オブジェ」派は少数。「民芸」派は希少で、純然たるクラフト「デザイン」の参加はまずない。
 なぜ同じ組織で、活動しないのか。誰もが思いつくように、作品の対価の問題もあるのだろうか。

W いまだ低い陶芸の地位
 取材する側として、疑問に感じるのは美術の中の陶芸の位置。いまだに絵画・彫刻、さらに現代美術より低く見られている。
 今年、愛知県などが、初めて主催した「あいちトリエンナーレ2010」外国人も含め100人近い美術家が参加したが、やきもの関連は皆無。「陶」は企画する側の関心外らしい。
 それでも陶芸家は画廊で作品を発表する機会があるが、デザイナーにはそれすら厳しい。
 私事で恐縮だが朝日新聞名古屋本社の美術記者平成以降の切り抜きを調べると、陶磁器デザイナーの作品を7美術として報道したのは95年と09年の2回。多くのメディアが認識不足で、デザイナーと陶芸家の作品に一線を画する傾向がある。
 取材したのは栄木で、1回目は助教授時代の名古屋市内の画廊での個展、2回目は退官時の自選展を紹介した。栄木が既に90年台から、全国で1頭地を抜くデザイナーであったことが分かる。

X ボーンチャイナのあかり
 カラー写真付きで初回は「(前略)蝋抜きなどの技法で釉薬を掛けた一輪挿し、磁器の持つ美しさをそのまま出した灰皿、あるいはポットやカップや皿の食器セット。室内の飾りにもなる、呉須で染め付けた直線」模様が美しい角皿などが並ぶ。(中略)要所にはボーンチャイナ(骨灰磁器)のあかりが薄い磁肌を通して、和紙とは一味違った暖かい光を投げかける(後略)」と書いた。
 その後、同年の第33回朝日陶芸展で磁器のオブジェの中に光源をいれて全体を光らせる若い作家の作品がでた。私にはそのオブジェよりも、記憶にある栄木作品の方がはるかに良かった。
 この体験で陶芸家が創作した「唯一作品」とデザイナーが創作した「量産品」との違いは、受けての思いだけでないかと疑問を持ち、いまだに解けていない。

Y 量産品も一品も同列に
 しかしこの見方にも変動が起きた。99年には傑出した陶芸家に贈られる、日本陶磁器協会賞の「金賞」がデザイナーの森正洋に授与された。
 02年には、岐阜県現代陶芸美術館の開館記念の「日本陶芸の展開」で森、工藤、小松、栄木らの作品が、06年には茨城県陶芸美術館の開館5週年の「日本陶芸100年の精華」で上記に曾田を加えた量産作品が、日本と陶芸の無視できぬ歴史として、伝統やオブジェの陶芸家の作品と同列に展示された。デザイナーを正当に評価する当然のことがやっと常態化した。

Z 森正洋のポットから
 栄木に戻ると、彼をデザイナーにしたのは森のポットだ。年譜に−千葉県旭市に生まれ、デザインおたくの内気な高校生のころ、日本橋三越で新鮮なデザインの土瓶を見つけ買った−と書いている。森の名前と顔を知ったのはその後に買った「美術手帳」のデザイン特集号であったという。63年武蔵野美術大学の短期大学部に入学。学生仲間に小松誠がいた。卒業後、名古屋の洋食器会社にデザイナーとして勤めた。

[ ヤロかも体験
 2年間いて瀬戸市の愛知県窯業訓練校に入る。東京のクラフト展で知り合った曾田雄亮が茨城県笠間市に作った、研究所の助手になる。70年には瀬戸に戻り、町工場の日雇い労働者になる。「5年ほど昼間は瀬戸の工場で8時から夕方5時まで体が勝負のタイル工等をしながら夜と月4日の日曜の休みだけが貴重な自主制作の時間でした。」瀬戸では下級職人(ヤロと言う)が一人前のろくろ師等になる為、自分の時間で自主的にものを作るのが普通のことです。
 ヤロまでしてやきものの全てを体験が、現在の栄木の自信につながっているに違いない。

\ 都会型か産地型か
 栄木はまた自らの体験を基に陶磁器デザイナーを二分する。知識やコンセプト、図面などでデザインし、制作は人にまかせる「都会型」と、陶業地に住み、成形、紋様、釉薬から一人でこなす「産地型」とに。後者の陶芸家の生き方と同じその代表が森正洋。栄木も明らかにその流れにあり、デザインは美術と対等またはそれ以上の意味を持つとの持論を抱くに至ったもの、産地型だからだろう。
 但し産地へのこだわりは第一世代ほど強く、世代が進むに連れて薄まる傾向にあるようだ。

] 栄木デザインの目指すものは
 退官した年の春名古屋市内で自選展を開いた。私は朝日新聞名古屋版夕刊でこう書いた。「使ってみたくなるものばかり。日々の生活を便利で美しくしようというデザイナーとして目指すものが伝わってくる」「器のデザインは奇をてらわずどこか新しさを持ち、永く飽きずに使えるものとの主張が読み取れる」
 何気ない繰り返しの日々の生活を美しくしようというのが栄木の目指してきたものだ。そして「用」と「美」は相反するものでなく、用を求めると美に至ることを栄木デザインは証明している。
 先の学内誌で「身の回りに上質なものを求め、永く使う事は教養の一つ」と書く。持つもので教養が分かるとは、恐いがけだし名言である。

略歴
  1942年愛知県瀬戸市生まれ。
早稲田大学大学院修士課程修了。
元朝日新聞編集委員、96年より朝日陶芸展,女流陶芸展等の多くの審査員歴任,  朝日新聞、季刊「炎芸術」、月刊「陶説」に連載
著書に現代陶芸家列伝(風媒社)、「NHKやきもの探訪」(風媒社)等多数。

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