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日本陶磁器デザイン協会
POTTERY GATHER ポッタリーギャザー誌2006年Aprより転載
栄木正敏の陶磁器デザイン関連展示会を観て
會田雄亮 − 変貌する陶土
2005年5月31日~7月18日 東京展 渋谷区立松涛美術館
本文はすべて敬称略とさせて頂きました。
栄木 正敏 

 昨年11月惜しくも亡くなられた森正洋先生の東京国立近代美術館展など陶磁器デザインに関連する注目すべき展示会のレポートを私なりに書いてきた。今回レポートするのは北海道江別市アートセンター、山形美術館そして東京展を開催した「あの」會田雄亮展である。

 私は今回、渋谷区立松涛美術館での會田雄亮展を、オープン時と終わりに近いころの2回観ることができた。會田雄亮先生(以下敬称略)の作品は時々、個々には見て来たが、やっと會田ワールドの全貌をじっくり観ることが出来た。
 個展会場の入口に立つとまず私の目にとびこんできたのは、會田雄亮研究所製作の建築マケットや陶壁や陶をメインにした庭園、モニュメントやプラザなど数々の大型写真パネルであった。数ある陶芸展とはまったく趣を異にするデザインや建築そして仕事がデカイという言葉が浮かんできてワクワクしてきた。この美術館を設計した白井晟一、その清楚かつ重厚な外観とそのインテリアの2つのフロアーの広々した空間を使って、瀬戸で作られた1950年代後半の色釉薬のボールからdesign by AIDAによるメードインアメリカのディナーウェア、會田が開発した練り込みの様々な文様を駆使した大皿や花器の数々、床には群で見せる大型の造形的花器、會田の巧みなろくろによるまったく独創的なフォルムの大型キャセロール等一流の陶芸家としての仕事ぶりを遺憾なく見せ付けていた。そして壁面には世界で最初と思われるスリーデメンションタイルなど、それらは陶磁素材の可能性を追求してきたものの数々である。米国より帰国後の1964年より日本でもいち早く環境造形の仕事に携わり日本各地に多数制作設置してきた。環境造形の分野はその中のほんの一部の写真パネル展示に留まったが、それでも會田のコーヒーカップからパブリックアートまでの幅広い制作活動の軌跡が美しいディスプレイと共に充分に観ることが出来た。

・かっこいい會田雄亮
 「あの」と冒頭に私が書いたのは20年ほど前にネスカフェでテレビコマーシャルや女性週刊誌の全面広告に登場し、富士山をバックにして大勢の助手と共に有名になった自作の練り込みコーヒーカップを手にする「違いのわかる男」それが會田雄亮であったからだ。そこで一般には風雅で素敵なコーヒーカップを作る「かっこいい陶芸家」と思われ、当時の陶芸家のイメージアップに大いに貢献。そしてプロの造園、建築設計の関係者にはインテリア誌や建築雑誌に度々作品が掲載された為、風雅な陶芸家というよりもビックな陶壁やモニュメントやプラザの優れた設計者と思われてきのである。
 Yusuke Aida is wearing two hats One of a ceramic artist and the other of an environmental architect.「會田雄亮は二つの帽子(仕事)を被っている。一つは陶芸家、他にもう一つは環境の建築家である」と著名な美術評論家小川煕氏が近年発行された欧州陶芸誌「kerameike techni」に11ページにわたる會田雄亮特集の論評THE CERAMIC ART OF YUSUKE AID ・
 FROM A COFFEE CUP TO PUBLIC ART WORK BY Hiroshi Ogawaの冒頭に書いている。

・世界的なプロダクトデザイナーとしての會田雄亮
 會田は1931年山形県に生まれ、千葉大学の都市計画科を1956年卒業、日本の近・現代陶芸史を飾る陶芸家の宮之原謙に陶芸の手ほどきを受ける。その後瀬戸に行き、名古屋工業試験所でろくろ、釉薬や石膏技術を、そして品野や赤津の陶器工場で和食器のヒット作をデザインしたりし、幅広く短期間で陶磁器の本場で手の仕事とプロダクト的な陶磁器の仕事をマスターしていくのである。
 その後の1961年米国に渡り、F器のディナーウェーメーカーであるバーモント州のベニントン社のチーフデザイナーとして活躍、1963年自ら量産型の石膏原型製作とデザインをした43種類からなる“Classic service”ディナーウェアは全米で大変好評を得て、ロングライフ商品となった。その製品群はニューヨーク・現代クラフト美術館(現名、NY・アート&デザイン美術館)その後NYワールドフェアー‘64、全米主要美術館を2年間巡回した。
 私の手元にあるDesign Since1945の作品集(フィラデルフィア美術館にて1984年開催した展示会の立派な作品集)に上記のディナーウェアの写真が収録されている。そこには戦後の1945年以後製品化した世界のプロダクト製品の名作が収録され、テーブルウェアの項では、デザインに少しでも興味のある人なら必ず知っている、カイ・フランク、スティグ・リンドベリー、ティモ・サルパネバ、タピオ・ウイルカラ、アルネ・ヤコブセン、アンブロジオ・ポッジ、ハンス・テオ・バウマン等のデザインした製品と共に日本人が2人、船越三郎(グラスウェアー)そして、この1963年作の會田雄亮の”Classic service”(陶磁器)が入っている。当時の人々が憧れたアメリカで、30歳をちょっと過ぎの若い會田が世界デビューを果たしたのだ。それも日本人によるmade in USAで。当事、欧米に低価格で大量に輸出された日本製のテーブルウェアによる模倣問題が続々と起来ている時代、彼の米国でのデザイン活動は日本の陶業史の中で不思議なくらい大変な快挙と言わざるをえないだろう。
 私が會田を初めて知ったのは21歳の武蔵美の学生の時だ。当時、米国で活躍し帰国した新進デザイナーとして多くのメディアに掲載された。昭和40年1965年「工芸ニュース・冬号」、1965年「デザイン・4月」で會田を特集された中で、米国での仕事ぶり、これからの日本のデザイン、陶磁器産業など會田の文章に食器デザインに興味を懐いていた私は強く惹かれるものがあった。今もこの二冊を大切にしている。
 当時、いち早くフィンランドの有名なアラビア社のデザイン・アート部門に入社、カイ・フランクのもとで制作し、ヘルシンキのアラビア社ショウルームで個展をして帰国した武蔵野美大の私の先生でもある加藤達美がいた。そして九州の波佐見から世界に発信する森正洋が1958年にG型醤油差しをデザインしていた。この二人に會田が加わって食器デザインが大好きな学生時代の私となり、私にとってこの3人は「かっこいい人」そのものであった。このころ、学校やデザイン誌から得た知識から陶磁器デザイナーとはかなりのエリートであり、簡単にはなれない重要な仕事であるということが、空っぽな私の頭の中にインプットした。
 その後、プロダクト系テーブルウェアの作例は少なくなってはいるが、(株)ニッコーから1985年ごろディナーウェアの「オーバルホワイト」シリーズを発表している。會田雄亮を大メーカーが起用し、自由に製作した楕円を基調とした機能的で新鮮な造形のテーブルウェアは注目に値するものであった。リ・プロダクトして欲しいものの一つだ。

・會田雄亮との出会い
 私は縁あって25歳の時、笠間にあった會田の工房の助手として働いていた事がある。その時の工房はデザイン誌で知っていた會田の大きなイメージとは違って、粗末なものであった。朝9時ごろ朝食、後に會田がCMに出演するネスカフェを毎日飲んでいた。休日は無く、毎夜午前2時ごろまで會田のもとで、かなり大型作品を兄弟子の梶谷ばん(後に米国コロンバス大学陶芸科主任教授)と共に製作していた事を思い出す。お蔭様でハードワークにも耐えられる身心(当時の言葉で根性が付く)に私は成ったような気がする。

・練り込みの器
 陶芸家としての會田スタイルを特徴つける装飾技法に8C~9Cの唐の時代にできた練り上げ手または練り込みという技法がある。會田は様々な鉢やカップ、大皿、花器をこの技法で製作してきていた。1968年当時、笠間の陶芸家松井康成(後に練り込み技法で人間国宝になられた著名な陶芸家)さえも窯場を見学させてもらったが練り込みの技法はまったく見当たらなかった。會田は米国に滞在していた時の1962年「練りこみボール」を製作していて、長い間途絶えていたこの技法に徹底して執着し、日本でもかなり早い時期に着手していたことが解かる。帰国して間もないころにも練り込み作品を何点か作っている。その練り込み技法の器は會田自ら作るアートピースから求めやすい中小量産品のカップまで多種多様な作品がある。特に注目するのは1980代からの練り込みの技法の「食器セット・時雨」シリーズである。このシリーズは練り込みならではの特徴がよく出ていて、造形的にも独特で美しく、手造りでありながら多種のアイテムがある。面倒なこの手造り技法を會田独自の合理的スタジオシステムで製作、買いやすい価格、ロングライフ製品を実現したシリーズである。2000年に開催の日本デザインコミッティが主催した「VIVA20C・ 20世紀の物質と映像のデザイン」展のカタログの中で會田は「二十代のころ・・・.強烈に思ったことは・・・クラフトという言葉が生まれ・・・.たとえ少量でも買い易い値段で息長く量産する。これが工芸の基本だ」と書いている。この食器セットが若いころの思いを具現化し、戦後のクラフトの秀作の一つとして今も作られているのである。(このシリーズはNY・アート&デザイン美術館で販売され、永久収蔵となっている)
 會田が名付ける放射紋、春木立紋、片流し紋、火焔紋、春霞紋などは過去の伝統的な練り込みには無い文様で正確な計算から独特な模様を開発している。練り込み技法では大型作品の成型は大変難しいが、大鉢、大皿や花器の大作の数々を今回展示していた。近年の作品では「積層」シリーズがある。球形の基本形をベースとしてその球形をカッティング、接合、そのカットティングした断面から生まれる練り込み技法ならではの美しい色のグラデーション、シャープな造形感の器は置かれる卓上や空間に緊張感をもたらし、演出力のある特別な器だ。その様な器の仕事だけ観るだけでも、會田が急速に工業化した我々の生活環境の中でいかに自然素材や伝統工芸を大切にしたクラフト推進者の代表者であるのかが良く解る。

・パブリックアート・陶の環境造形の仕事
 土や陶の素材と建築との関わりは古代から現代まで連綿と行われ、その機能と美しさで世界各地に人間的空間を作ってきた。雨もまったく少なく、木もなく、小石と土しかないタクラマカン砂漠のオアシスに、古代、焼かない日干し煉瓦で都市が作られた。今も巨大な土の塊となって城郭を留める。そして今も日干し煉瓦が日常的に作られ、大いに活用されている様子を昨年中国西域の旅で確認することが出来た。そして私の住む瀬戸市内には1652年に建てられた徳川義直の御廟である定光寺があり、瀬戸でそのころ作られた鉄釉の敷き瓦(今のタイルの祖形)が床に敷かれ、織部釉が掛かった築地塀が今も美しく輝いている。同じ瀬戸に明治、大正期に出来た銅版転写による本業タイルがある。それらは日本でも早い時期のものだ。
 さて西欧に目を向けて見よう。1900年ハンガリーのブタペストで当地のジョルナイ陶器工房と共に、色釉瓦や建物の内外、手摺まで、当時のアールヌーボウ建築に陶磁器を活用していた。それら色彩あふれる独特の装飾を施したレシネルスタイルの建築を創ったのは建築家のレシネル・エデンである。石材が乏しいハンガリーは永い陶器の伝統があり、情緒的で装飾的なアールヌーボウ建築に陶器素材がぴったり合う素材であったからであろう。そのころ日本でも明治期の煉瓦建築や大正、昭和前期のアメリカから学んだ建物のファーサイドを飾ったテラコッタ建築が盛んに作られ、今も各地に残り、品格ある風景を創り出している。
 現代ではタイルは景観を考えた環境造形から機能性重視の一般的なものまで多様なものが世界各地で大量生産されている。その中で戦前のテラコッタに変わるものとして現代建築の内外に使われる大型タイルブロックがある。大型タイルブロックとして私が大変注目している作品を挙げてみよう。先日、東京ステーションギャラリーでの・モダニズムの先覚者生誕100年・
前川國男展を観てきた、その著名建築家の前川國男の押し出し成形による現場打ち込み大形タイル(1961年の東京文化会館、1964年の紀伊国屋ビル外壁、この工法は後に乾式施工法を生み出す元となったと考える)、三次元大形タイルブロック(1969年INAXで生産され、大阪伊奈ビルの高さ30メートルの外壁コアに使われたスリーディメンション・セラミック。會田雄亮デザイン 押し出し成形)。発泡スチロールを電熱線でカッティングして原型にする、ネガポジ大形レリーフタイルブロック(イタリアの陶芸家ニーノ・カルーソのデザイン 主に鋳込み成形)がある。この日本人とイタリア人の3人は多くの現代的な陶タイルや陶壁の傑作を数多く手掛けてきた。
 私は数年前の夏、新宿パークタワーのリビングデザインセンターOZONE・リビングデザインギャラリーで個展を開催した。新宿駅からOZONEまでの途中に會田の1973年の三井ビル広場とモニュメント(第二回吉田五十八賞受賞)があり、道を渡って京王プラザホテルの外壁や陶と水の庭がある。この近辺はまるで會田ワールドそのものだ。前々から個展の時には毎日通って懐かしい會田の2つの作品を観にいくぞ、と計画し、楽しみにいた。京王プラザホテルは日本の超高層ビルの最初のころの巨大ホテルとして1970〜1971年建設、当時、剣持勇(1971年没)がアートディレクターとなって、日本の著名なデザイナーや彫刻家等(多田美波、篠田桃紅、渡辺力等多数)を起用し、いろんな意味でデザイン、建築界で話題になった。その中に一番に若い會田雄亮がいたのだ。
 外観は同じだがインテリアはまったく違った様相となっていた。ただし、陶器による2面の大外壁と水の庭だけはそのままであった。會田の陶の空間は商業施設にありがちな一過性のデザインでなかった事を知る。ガラス面で仕切られて、内部と外部とが陶の壁と水の庭とが一体となったコーヒーラウンジで一休み、笠間の會田の助手をして働いていた頃の事を思いながら・・・・・會田は「環境造形の仕事で最も重要なのはいかに人との関わりあいを持たせるかが課題だ」と常に言っているが、その言葉がはっきりと具現化したことが、この空間にたたずむと良く解るのであった。単に自己表現のタブロー作品に終わらず、作者(會田雄亮)を意識せずとも、人が心なごむこの工芸的陶空間に35年の時が経とうとしている。ラウンジの大きなガラス越しに1991年完成した東京都庁が(丹下健三設計)威風堂々と見上げるように立っている。立派で大きく世界に誇る建築に見える。ここは著名な彫刻家から新人までが選ばれ、内部や外部の周辺そして広場に作家の自己を主張する数々の作品が銘版と共に多数配置され、さながら彫刻美術館みたいだ。個々には興味がある作品はあるが、ここを訪れるそれほど彫刻に興味を持たない人々にとっては単なる宮廷に置かれた多数の装飾品か大きな置物にしか見えないだろう。私のようにデザインや工芸に興味がある者には、35年間も皆に愛され、使い込まれてきたトータリティーのある工芸的な會田の空間にどうしても軍配が上がってしまう。

・會田雄亮の手の技と陶磁器工業技術の連携
 會田の大きな特徴の一つはアトリエでの土から陶のプロセスを大切にしながら、彼の手から生まれたテクスチャーや造形を現代の成形技術や先端窯業技術と結び付けたこと、加えて彼のパワーと組織力が相乗して、多くの陶の環境造形を造ってきた。會田はアトリエ内で器や陶壁、造形物をつくるが、むしろ工場との連携で作り出す仕事に特徴があり、會田の大きな環境造形の作品ではアトリエ内での手づくりだけでは不可能なビックなサイズを可能とし、造形表現の極限の可能性や完成度や密度の高さをもたらしたのである。

「陶の割れ肌」・私が助手として働いていたころ石のはつり技法を、陶磁に置き換えて、土の乾燥の時、素焼きした時とそのテクスチャーをいろいろ実験していた。アトリエでの実験を基にしてINAXの大型押し出し成形機で大型の割れ肌のタイルベースを製造していた。初期の1970年大阪伊奈ビルの内壁はじめ名古屋観光ホテル1F内壁などその後に作られる多くがこの技法を使っている。

「練り込み技法」・この技法を駆使し、様々な模様を創り出し、主にうつわで展開している事を先に述べたが、例えばその練りこみ技法できた器の「断層シリーズ」がスケールアウトし、1992年の池袋ターミナルモニュメントとして巨大に変貌し、多くの人々がエスカレーターに乗りながらその造形を楽しむのである。1986年の高さ17m幅約100mに及ぶ甲府市の山梨県立小瀬スポーツ公園には水の流れを中に取り入れ、練り込みタイルで覆われた幾何学的な巨大なモニュメントブラザとなっている。水で遊ぶ子どもの喜々とした声が聞きこえるアミュームーズメント性のあるプラザだ。他に1979年神戸ポートアイランド 陶と水のモニュメント、2000年山形駅セントラル広場等練り込みと水の動きとのコンビネーションによる環境造形の傑作が多い。

「スリーディメンショナル タイル」・このタイルは画家がつくる単なるタブローの陶壁とは次元の違いがはっきりした建築と美術の融合を考えた陶磁の新しい造形素材。数種のユニットからなる三次元タイルは設置する場に応じ様々な組み合わせが出来、無限に表情を変えタイルとタイルが折り重なり、壁面に織物の様に光と影が美しい効果を生む。作者は後になって小型のピースを造り「陶織」と号命している。會田が発明した独特のレリ-フタイル。1971年名古屋観光ホテル内壁(’73日本インテリア協会賞を受賞)、大阪伊奈ビル・コア外壁(‘70サインデザイン協会賞を受賞)等多数に設置されている。これらは石膏型鋳込みやINAXの最新の金型プレス成形や大型押し出し成形技術などにより可能にしたもの。

「陶と水のコンビネーション」・上記の幾つかの陶磁技法と複合統一されて、會田の環境造形は完成されていくが、それに加えて特に顕著なのは、水を制御し、取り込み、水を効果的にデザインしている事である。上記の事例のほか1978-79大成相互銀行のプラザ スクエアなど多数

「釉薬技術」・會田は窯業工学研究で多くの成果をもたらした旧名古屋工業試験所・瀬戸分室で土や釉薬などの原料学を学んだことが後になって、多様な釉薬技術を駆使して、多くのうつわや陶壁を作っていく。1968年のキャセロールは手ろくろ成形の特性を生かした形状であり、量産品では難しい釉薬効果を駆使したスタジオクラフトである。用途的にも優れているが、それ以上にこのキャセロール「ファエンツァ」を一つ置くことでインテリアが変わり、釉薬の魅力と造形的でオブジェ性のある器である。(このキャセロールにより1968年イタリア・ファエンツァ国際陶芸展 日本人初の金賞受賞)

・會田雄亮はどうして陶の環境造形の分野を確立し革新しえたのか
 會田の環境造形の作品についてほんの一部しか述べていないが、1965年の茨城県文化センターの陶壁から巨大なモニュメント、プラザを含めて日本の各地に80以上のアートワークがあるという。今回の大がかりな個展でも写真でほんの一部しか見ることが出来なかったが、まだ私自身も會田の実物の環境造形は10箇所ほどしか観ていない。今後時間をつくり各地を旅し観てみたいものだ。
 會田が米国より帰国していち早く、デザイナーや陶芸家としての仕事以上に建築家と共同してスケールの大きいこの作家らしい陶の環境造形の仕事をなぜ多数なしえたのか。帰国した頃の1965年「工芸ニュース」にテーブルウェアの写真と共に建築壁面の為の陶、木、石、の破片を使ったモザイク風マケットの作品が何点か掲載されている。米国で食器のデザインや作陶と平行し陶壁の作品も製作していた。その事は彼が陶芸家としては誠に珍しい都市計画科出身という素養があり、米国の地で新しいランドスケープデザインの研究をしていた事が解る。それは陶芸家でありながらランドスケープデザインをなしえた理由でもあるが、もう一つ当時の社会的、時代的な要因がある。東京オリンピックや大阪万博が開催され、日本が好景気に沸いた頃、土地の高騰と共にビルの高層化をもたらした。高層化はその空地を生み、パブリックな都会の憩いの場として、密度の高い人工空間を作る必然性があり、會田が陶の環境造形の活躍のきっかけを作る条件が整っていたのである。會田が「陶磁素材を遠心的にその可能性を」と35年も前の「SD」誌に書いて、彼は従来の陶芸家の分野を超えて建築、造園、広場、都市環境、美術、陶磁器工業、社会、行政などの多くの分野の隙間を埋め、陶磁の可能性を極限まで追求してきた。會田は従来になかった陶磁器デザイナー、陶芸家、環境造形家として、新しいタイプの陶芸家像をつくったのである。

現代陶芸と會田雄亮
 渡部誠一は現代陶芸の100年展・日本陶芸の展開(岐阜県現代陶芸美術館開館記念展)カタログ中に「日本陶芸は50年から60年代にかけて土と火等の陶芸を成立させる最小限のメデュウム以外のものに用途を含め捨象すると言う純粋化の過程を経てきた」と書いている。この時期に林康夫、八木一夫等のオブジェが出現する。いわゆる陶芸の美術化すなわち磁器工から磁器術へ。オブジェが出来て半世紀過ぎようしているが、いまだ陶芸評論の世界では、土から陶としてのプロセスと自己表現の2つのみが陶芸で最重要な要素としている。
 この様なオブジェの重視傾向は工芸本来の用途と美しさの分かちがたい二つの要素との結び付きを解体し、作者の自己表現を重視すると言う事だ。近年、韓国に韓中日国際陶芸展や国際ワークショップ、韓国の大学などに度々陶芸の分野で招待を受けることがあり、昨年は3回も韓国に行った。また今年になって愛知県陶磁資料館で、日韓中の20ほどの大学の陶芸専攻大学院生の大きな展示があった。どちらも用の器の類はわずかでオブジェが大勢を占めていた。この傾向は戦後数年して、米国の陶磁器産業が日本や欧州に敗退していたころ、ピーターボウコス等の用途を持たない、自己表現としての陶磁器が京都の林、八木、熊倉等と同時期に出現し、その後アメリカの大学教育や多く陶芸誌などからの世界的影響もあって、オブジェ的な傾向が大勢を占めてきている。また渡部誠一は「このような傾向への批判作業として工芸論の再構築は90年代に入って開始される」と書いている。陶磁器の歴史が浅く、陶磁器産業が衰退した米国では日曜陶芸や美術としての陶芸に必然性がある。しかし、中国などが生産量を大きく伸ばしてはいるが、1300年の陶磁器の歴史があり、多くの産地が形成される日本は今も一大陶業国と言っても過言でない。
 會田の中心と思われる仕事は陶壁やスケールの大きいモニュメントや広場だ。この為もあり、陶芸分野といえども、行政や企業のクライアントがいて、設置される立地、環境、技術、経済的なものを包含する「デザイン」や「設計」の立場に立つ。スタジオ陶芸のように自己完結、自己表現と画廊や評論家との結びつきでは終わらない。作品もメンテナンスも含めて、パブリックの場で永久に使用されなくてわならない。近年、自分だけの為につくり、表現を広げるオブジェ陶器を美術の一フィールドと見なす評論が多い中、日常の器と共に會田ら環境陶磁の分野は社会的な影響も大きく、力量の割に評論がなされる事はそれほど多くはない。オブジェ、クラフト、伝統陶磁、陶磁器デザイン、メーカー製品、そしてこの陶の環境造形など多様に展開した日本の陶磁の世界、同じ目線に立った評論や美術館など公共の場での展示がより必要な時代に来ている。評論は美術の分野だけで終わらせてはならない。陶の環境造形の分野を確立し、革新させたこの會田雄亮の壮大な仕事は、ここにきて大いに認識される時期にきていると私は今思っている。

○参考とした會田雄亮関連書籍一覧
「JAPANESE DESIGN」 A SURVEY SINCE 1950、「Design Since 1945」 PHILADELPHIA  Museum of Art、「現代日本の陶壁」、「日本のタイル」、「レヒネル・エデンの建築・1900・ハンガリーの光と影」、「建築のテラコッタ」、「日本のクラフト」、「會田雄亮作品集」等
○美術館カタログ
「會田雄亮」展・変貌する陶土(渋谷区立松涛美術館ほか巡回)、「現代の食器・注ぐ」展(東京国立近代美術館)、「現代日本美術の展望・生活造形展」展(富山県立近代美術館)、「日本陶芸100年の精華」(茨城県陶芸美術館)、「現代陶芸の100年展・日本陶芸の展開」(岐阜県現代陶芸美術館)、「VIVA20 ・20世紀の物質と映像のデザイン」展(松屋銀座) 等
○関連雑誌
「工芸ニュース」、「デザイン」、「MADO 5」、「Signature 6」、「Kerameiki Techni」、「陶」、「SD」、「ガーデンライフ」、「ジャパンインテリア」等多数。他に會田個展、上記招待展及び船橋市、甲府市、名古屋市、東京都、大阪市等11箇所の會田の環境造形を見学して本文の参考とした。


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