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「文集私たちの森正洋」より転載P123~P129  2012年1月25日発行
 森正洋を語り・伝える会 制作小田寛孝
「ものづくりで社会に主張するデザイナー・森正洋」
栄木 正敏(栄木正敏デザイン研究所) 

 明治期は彫刻、絵画は美術として認められていたが、工芸は一段下に見られていた。作品の創造者である個人が主張することによって近代的工芸観をもった陶芸が確立し、陶芸家が生まれ美術と肩をならべるようになったという。
 明治期の陶磁器は輸出が目的で殖産振興として国の名で、また分業による手作り産業としての窯主の名前が冠されて、デザイナーにあたる絵師や創作者、図案家の影は誠に薄いものであった。大正、昭和の初め冨本憲吉等が自らの素材を駆使して、アイデアと手業で創造者である個人を主張し、自己表現による陶芸を確立しから、80数年が経つ。
 量産と良質をベースにする陶磁器デザイン分野で、製品を通して真に自己を確立した陶磁器デザイナーは国内外でどのような現状なのだろうか。

「欧州プロダクトデザイナーの有名性」
 まず、永い歴史のある欧州の陶磁器デザイナーが自己を主張し、デザインを確立している事例を述べてみたい。1997年春、イタリアから1通の手紙が私の元に届いた。それは2年に一度開催のイタリア・ファエンツァ国際陶芸展 第50回記念特別展「世界のデザイナー」10人展の招待出品の依頼状であった。この森正洋をはじめ小松誠、栄木の3人の日本人、他には作品集も前から私の手元にあったフィンランドのティモ・サルパネバ、イタリアのアンブロジオ・ポッジ、ドイツのハンス・ティオ・バウマンなど世界的な陶磁器関連デザイナーであった。そして招待出品者に日本から3人も参加している事に注目された。イタリア・ファエンツァの展示を実際見に行って、有名ファッションデザイナー起用の安易な日本の陶磁器を日頃目にする私には、本物の物作りとデザインの価値に感動を覚えた。そして2年後の同展の51回には、「世界の陶芸家」10人展(深見陶治、秋山陽の日本人2人が出品)を開催するとあった。欧州の美術館ではアートとデザイン、そして陶芸(アート)と陶磁器デザインが同じ扱いで、一般の人も陶磁器デザイナーの存在を良く認識している事が分かった。ドイツ・フランクフルトメッセ国際見本市では、大メーカーのブースでの展示やそのカタログ類に上記欧州のデザイナー等の名前、顔を大きく表示し、その個性や価値を大いに宣伝しているのを眼にした。現在、洋食器製造の先進国であるイギリス、イタリア、ドイツなど有力なメーカーは、日用陶磁器からファインセラミックに生産が移行しつつある。しかし、デザインを伝統的に重視してきた各社の永続的な努力が功を奏し、生産量は減少したものの確固とした高いブランドイメージを確立し、国際的に高級テーブルウェアの生産国としての地位は揺るぎないものがある。

「日本の陶磁器デザイナーの匿名性」
 では、日本の陶磁器デザインを取り巻く状況はどうか。他のデザイン分野よりずっと早く、1899年から名古屋のノリタケで図案部が設置された。過去に世界の30パーセント、世界1の生産量を誇ったにもかかわらず、創造の主体者としてのデザイナーの名はメーカー製品には無く、明治期のごとく、あくまでも無名性は当然な事である。そのことで私のデザイナー仲間からの不満を聞いたことが不思議と無い。ただし日本のガラス会社は積極的にデザイナー名を出し、内外に自社デザインのオリジナリティーを宣伝していた。その理由は日本の工芸ガラス創業者が岩田籐七、各務鉱三等の工芸家、デザイナーであり、デザインの価値を熟知していたからだろう。
 瀬戸の主たる産業はノベルティであった。それらは主にマイセン、ドレスデンの模倣である磁器人形などの精巧な置物で、昭和初期から1985年まで隆盛し、北米向けに大量に輸出、大いに外貨を稼ぎはしたが、日本人の感性や創造的アイデアはまったく無く、技術とお金儲け偏重のみであった。当然、技術者としての原形師は多数いてもデザイナーの存在は私の住む、瀬戸には無かったのである。そして、かつて瀬戸の陶磁器産業の中で67パーセントを売り上げたが、文化として国内外に賞賛されることもなく、生産地は中国、東南アジアに移行、瀬戸のノベルティ産業は壊滅し、過去のものとなった。

「陶磁器デザインをリードし、陶磁器デザインを革新した森正洋」
 日本で大きく陶磁器デザイナーを取り上げた展示は最も早い時期では1997年、公立美術館で初めて唐澤昌宏氏担当による愛知県陶磁資料館の「森正洋陶磁デザイン」展である。その後、我が国の中心的美術館としてレベルの高い研究、展示活動を展開する東京国立近代美術館、その改装後の第一回デザイン展は金子賢治、諸山正則、北村仁美各氏の担当による国立美術館で初めての2002年「森正洋‐陶磁器デザインの革新」展があった。東京国立近代美術館での森展は大変好評を博した。広大なデザインの分野、様々な傾向の日本陶芸の分野の中で、目立たない論じられない地味な「陶磁器デザイン」が多くのメディアに登場し、森の名と共に脚光を浴びたのである。森のデザインしたG型醤油差しなどデザイナーの名を知らなくても心地よく、愛着を持って一般に使い続けられている。何十年もアノニマスで裏方に廻っていた森であったが、森正洋と多くの製品が結びつき、一般の人々にも知れる存在となった。年1回デザイン展が開催の東京国立近代美術館本館では、第1回目の森展の後、イサム・ノグチのあかり、河野鷹思、渡辺力、柳宗理、早川良雄の各著名なグラフィックやプロダクトデザイナーの個展の中に2008年小松誠展、2011年栄木正敏展と陶磁器デザインの個展が続いた。
 2002年に近現代の陶磁器を専門とする岐阜県現代陶芸美術館開館を記念して渡部誠一氏他担当の「現代陶芸の100年」−日本陶芸の展開−が開催され、各陶芸分野の中に「身の回りの個人主義」として森正洋、工藤省治等が招待出品、他の陶芸家と同様にデザイナーといえども自由に個性や創造性を製品に主張するのが当たり前の時代になったと感じられる展示になっていた。2004年、2005年と北海道セラミックアートセンター、山形美術館、東京・渋谷区立松涛美術館と巡回した會田雄亮展は器から壮大な陶の環境造形まで従来の陶芸家の枠を超えた展示は素晴らしいものであった。外舘和子氏担当の2006年に茨城県陶芸美術館「日本陶芸100年の精華」があった。展示は創造性とその創造のシステムに注目し、明治より現代まで118作家を選択、多数の陶芸品の中に陶磁器デザインの分野で森正洋、會田雄亮、小松誠、栄木の4人の作品が丁寧に取り上げられ、展示作品と図録が連動した近現代陶芸史の「教科書」になりえるものとなった。また、「現代陶芸家列伝」の名著もあり、陶芸の分野を特に長年注視してきた美術ジャーナリストの井上隆生氏は、1990年代初頭より度々新聞、雑誌などで陶芸家と共に森正洋等の陶磁器デザイナーを取り上げ、論評し、多くの著述をものにしている。
 2000年ごろの森正洋展を先駆けに国公の美術館での陶磁器デザイン関連の招待展示や陶磁器デザインの個展が目立つようになった。この事は今まで無かった現象であり、森正洋の一連の仕事と森展の開催が日本の陶磁器デザイン分野の評価を大いに高めたと言える。プロダクトデザインの持つ匿名性とデザイナーの個性の両方を内包する陶磁器デザインが冨本憲吉ら「陶芸家」が出て70数年後やっと陶磁器デザイナーが認知され、一般的となった。

「世界へ発信する地場型デザイナー・波佐見焼中興の祖・森正洋」
 2000年にはドイツ磁器博物館とバウハウスが近くにあるハレ美術博物館で森正洋展が開催された。
 この地はローゼンタール、フィチェンロイター、アルツベルグなど多くの世界的な大工場があるドイツ陶業の中心に位置する。洋食器の本場であり、明治期より日本の陶業にとって磁器生産技術やデザインから多くを学び、窯業機械から食器デザインまで模倣に近いことまでしてきた憧れの土地でもある。ホーエンベルグのドイツ磁器博物館はドイツ量産磁器の素晴らしい展示内容で、さすが磁器の先進地であると実際に行って見て感じる取ることが出来た。このような世界的な本場で「森正洋‐日本の現代陶磁器デザイン」展が開催されたことは日本の陶業史に残る快挙であった。
 デザイナーには都会型と地場型があると思う。ファッションやグラフィックデザイン等は都市型の代表である。永い伝統の陶磁器や漆、木工、金工などのデザインは産地にデザイナーが居た方が都合が良い。焼き物工場の近くに居て、製造工程やいろんな実験など陶磁器のことなら何でも実際に知っていて、体に染み付いているのが地場型デザイナーであり、その代表が森正洋なのである。森こそ常に地方の地場から世界に発信してきた数少ない提案型デザイナーだ。その提案を製品化するパワーと組織力には素晴らしいものがある。ある本には九州の「美術家」の中でその作品が世界に通用する人はと問えば、第一に森正洋を挙げなければならないとあった。また他の本には波佐見焼中興の祖とも書かれていた。それもデザインで。

「文化として評価された森デザイン」
 陶芸作品や美術品は作者の手から使用者に渡っても作品だが、デザインしたものはデザイナーにとっては作品、工場では製品、売り場で商品、商材、使用者に渡って、暮らしの道具、食器と名前を変えてゆく手強いものだ。それぞれの場で評価が違い、デザイナーには自分なりのものが出来ると最高であり、工場では作り易く儲かるもの、売り場では良く売れるもの、使用者には愛着が持てる、使いやすいものなど価値は色々、それぞれの場で良かったり悪かったり、判断が違ってくるものだ。
 森デザインは、観る、判断する、研究する、人に知らしめる専門家の学芸員、研究者、評論家、ジャーナリストらに高く評価され、内外の一流の美術館に多く収蔵されている。これは文化的な評価だ。そして森デザインはデザイナーの森が故人になっても生産され、良いものとして永く使用者に愛着を持って日常茶飯に使われているのである。
 私の学生のころ、森の九州での奮闘振りを授業で話していた師がいる。「工芸ニュース」、「ジャパン・インテリア」誌等で森展の評を50年も前から書いていたわが師のひとりであり、森と共に第1回国井喜太郎産業工芸賞を受賞した故・芳武茂介である。彼は「生活用具とは、文化財であると同時に経済財でもあり、生産、流通、消費という社会的な仕組みで成り立っている。」という。この文化財的要素を製品に組み込むことが、これからの日本陶磁器に最も重要な要素になるであろう。身の回りに上質な物を求め、永く大切に使うことは、教養の1つであり、子どもの感性、知性を養うと私は思う。そして幼いころ、食卓にあったあの器、懐かしい記憶のなかにあるそれを大人になった時も手に取り使える喜び。それが優れたプロダクトの価値であり、人と物との幸福な関係ではないだろうか。私たちは森正洋の物づくりの思考や人としての生き様を解明し、学ばなくてはならない。


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